最近見た映画について
最近、というか10月くらいに見た映画たちの話をする。します。
『ハンサム・ガイズ』

あの『タッカーとデイル』を10年以上の時を経て韓国映画界がリメイクした作品。
つまり元の映画を観たのも10年くらい前になる。ざっくりしたあらすじと最後らへんと粉砕機にダイブする死に様以外覚えてなかったのも幸いしてわりと新鮮に楽しめた。
明らかにリメイク元にはなかったオカルト要素もいい塩梅。チャン・ジェヒョン監督作(プリーストとかサバハとか破墓とか)が流行る国らしいといえばらしい。
でもこの映画の一番良かったところはリメイク元に引けを取らないシチュエーションの愉快さや追加されたオカルト要素ではなく、この映画が迎えた結末だと思う。ここもリメイク元とは異なる終わり方をしていて、その終わり方がとってもちょうどいい。10年越しのリメイクの意義は間違いなく此処にある。
『トロン:アレス』

演技の評価は高いけど大作系映画のチョイスはなんとなく微妙なものが多いジャレッド・レト主演。これもまた10年ぶりくらいの期間を置いて作られた『トロン:レガシー』の続編である。
ほぼ仮面ライダーみたいなことをやっているのでストーリーラインはありきたりなのだけど、これが『トロン』シリーズの世界観にビックリするほどハマっている。まあバイクガジェットもカッコいいしな……ちなみに上海ディズニーランドにはトロンの乗り物アトラクションがあるらしい。この映画見ると、めっちゃ乗りたい気持ちが高まる。
デジタル世界の存在は地上世界に29分間しか存在できないという設定もなんかすごくヒーローっぽい。
個人的にはデジタル世界からやってきたクソデカ鳥居みたいなメカのスケール感が良かった。高いけど高層ビルほどではない絶妙なスケール感。
抜群に面白いかと言われるとそこまででは無いかもしれないけど、最近の大作系映画の中では映像表現がかなりしっかりしているので、一見の価値はある。
ジャレッド・レトといえばジャコ・ヴァン・ドルマルの『ミスター・ノーバディ』が好きなんだけど、今観たら主人公の男性に都合良く女性があてがわれている物語にウッとなってしまうかもしれないなあと思っていて、再び見ることができないでいる……似たタイトルの別映画も最近続編公開されましたね。
昔好きだったけど今見たら批判できる箇所いっぱいありそうな映画、沢山ある。

『プロセキューター』

役者としては大好きだが政治的なスタンスにはちょっと思うところがある香港スター、ドニー・イェン。
ここ数年は意図して出演作を避けていたのだけど、アクション監督が大内貴仁(ハイローとか)で中村浩二(平成ウルトラ三部作スーツアクターとかメタルドーパントとか)も出演してるとあっては……抗えず…………。
作品は真っ当に面白かった。あとドニーさん映画が久しぶりだからか、殴打のSEがすごく重低音に感じた。ドガッバキッじゃなくてドゥグォオッみたいな感じ。
法廷劇とアクションをどう絡めていくのかと思ったらクライマックスが証人を連れて来られると都合が悪い悪人が、道中に大量の刺客を送り込むで爆笑した。
『 アイカツ!×プリパラ THE MOVIE -出会いのキセキ!』

10周年を迎えたアイカツ!(のあかりちゃん世代)とプリパラのコラボ映画。
要するにクロスオーバー映画である。ハイローザワーストみたいな。
アイカツ!のシステムとプリパラのシステムが同時に謎のバグを起こして二つの作品世界が交わってしまうのだが、二作品とも子供向けアイドルアニメなのでやることはライブである。
本作でしか観られないであろう組み合わせや選曲のオンパレード。
私はプリパラしか存じ上げなかった(アイカツ!はいちごちゃん世代の最初のシーズンのみ)が、両作品で振り付けのアプローチや方向性が全然違っていて興味深かった。
でも作品としてはもっとやれるだろって気がした。スペシャルアピールもメイキングドラマも最後の方まで出し惜しみなのは勿体なかった。楽曲だけじゃなくてスペシャルアピールやメイキングドラマもたくさんの組み合わせ見たかったナーァ。そう思ってしまうくらいには元の作品にポテンシャルはあったと思う。
あと大人のキャラで教師の立場ならあじみ先生やグロリア校長もいるんだからそっちも出してよ!(プリパラ側の大人枠がめが兄ぃとめが姉ぇなのはなんか違うだろシステムなんだから)
個人的にあじみ先生がめちゃくちゃ好きなのもあるが、パニックラビリンスは本当に良い曲なのでアイカツ!しか知らない人にもなんとかして聴いて欲しかったな……。
『チェンソーマン レゼ篇』

とりあえずロングランするだろうと思って後回しにしていたやつ。
まさか興収100億狙えるくらいの勢いになるとは思ってたなかった。テレビアニメ版はどちらかといえば評判は芳しくなかったし(1話だけ見てやめてた)。でも総集編は悪くなかった(悪くなかっただけ)。
肝心のレゼ篇は、まあコミックス1冊半くらいのボリュームなので100分くらいのランタイムでちょうどいい。無限列車編も同じくらいのボリュームだし。呪術廻戦0も大体同じくらい(ちょっと分厚いコミックス1冊分)のボリューム。最近はこれくらいのボリュームを映画化するのが流行っている。
冒頭のデンジの夢はここでやってもあんまし意味がないけど、マキマさんがデートに誘うキッカケとして描かざるを得ない。
お金かけてそうな画面とマキマさんに評されていた映画の画面が全然お金かかってなさそうで面白かった。MAPPAでも肩の力抜くときあるんだ。
どうでもいい話だが一緒に観た妻は映画鑑賞当日の1週間くらい前にショート動画でチェンソーマンのネタバレを喰らっていた。一番しょーもないネタバレの食らい方だと思う。
終わり。
『テレビの中に入りたい』を見て人生のシーズン6第1話を始めたくなった話

中学生くらいの頃、深夜ドラマで 『特命係長 只野仁』や『ああ探偵事務所』が放送されていたのをご存知だろうか。
どちらも俳優の上半身ヌードシーンが時折映る作品で(作品のキモはそこではないが)私と弟はちょっとした下心を抱きながら親に内緒でコッソリ見ていた。ちょうど放送の時間帯も金曜で、親の気も緩んでいたのだろうと社会人になった今ならわかる。
どうでもいいが『ああ探偵事務所』の実写キャスト陣、めちゃくちゃニチアサだ……(久しぶりに調べた)
『テレビの中に入りたい』の主人公オーウェンも、たまたま選挙投票日の学校で知り合ったマディと『ピンク・オペーク』という子供向けチャンネルで夜中に放送しているドラマをコッソリ見たり、録画したビデオテープを貰う仲になる。
それでまあ色々あって、予想とはかなり違う方向へとストーリーはどんどん進んでいく。あっという間に進んでいく。
劇中、オーウェンは何度か訪れる人生のターニングポイントとなる選択肢で、現状維持を選んでしまう。その結果、時間は限りなく早く進んでいく。あっという間に8年とか経過する。
つまりその8年の間には映画のワンシーンとして切り取れるような瞬間は一切なかったということだ。映画が始まった時は中1の歳頃だったオーウェンもバイト先で虚ろな眼をしながら仕事をしている。
では選ばれなかった、ターニングポイントとなる選択肢とは何だったのか。それはタイトルの通り、テレビの中に入ることだ。
どういうことかというと、大体言葉通りの意味である。テレビの中に入るってことと同じくらい、劇的なことだ。
オーウェンにとって劇的なことって何かというのは映画の核心的な部分でもあるので詳細は伏せるが、本編を見ていれば「もしかしてこういうことかな?」とわかってくる。
テレビの中に入る、と言われると現実逃避的なニュアンスを感じないこともないけど、劇的なことって他人からしたら現実逃避って言われることもあるだろう。ある日突然「父さん会社辞めてカードゲーマーで食って行こうと思うんだ」なんて言われたら、特に何の実績も無ければ「現実見ろ!」と言われること必至だろう。なりたい職業のために専門学校に行きたいと言っても「まずは短大でもいいから卒業して」みたいに諭されるかもしれない。セクシュアルマイノリティに関するカミングアウトは「⚪︎⚪︎(一対一の異性愛規範に関する云々)から逃げてる」なんて言われることもあるだろう。そうした他人からの眼差しを踏まえたメタファーとして、テレビの中に入ると喩えられているように思う。そしてオーウェン自身、テレビの中に入っていった登場人物に対しそういう視線を向けている。
本作における「テレビの中に入る」は、テレビの向こうにいる芸能人や、アニメやドラマのキャラクターに憧れるのとはスケールが違う。本当の自分はテレビを見てる自分ではない。此処に止まっていては本当の自分でいられない。なんとかするには他人にとっては現実逃避だと言われるようなことをするしかない。もししなければ、その先の人生はあまりにも早く過ぎ去っていく。本当の自分がいることを知る人が周りにいなければ、なおさら早く。
オーウェンにとっての「テレビの中に入る」は、自分自身でも現実的なこととは思えなかったのかもしれない。
そんなこんなで色々あった末の映画のラストシーンは、一見「ここで終わるの!?」と思ってしまうタイミングで訪れる。
しかしそう感じるのは、そのシーンがオーウェンの新しい人生の始まりのように描かれているからかもしれない。映画はここで終わるが、オーウェンの人生はこれからも続いていく。それはいきなり事態が好転するなんてこともないのだ。
長らくオーウェンの人生はシーズン5で打ち切りかと思われていたが、自分の人生はドラマと違っていつでも新シーズンを始めることができる。オーウェンのシーズン6が、どうか最高にクィアで最高に素晴らしいものになりますように。
ブルーロック夢小説、まだ書いてるよの話
4月ごろに「最近ブルーロックの夢小説書いてるんだよね〜」みたいな記事を書いたが、驚くべきことにまだ書いている。
さすがに書くペースはガタ落ちしているが「次は誰との夢小説書こうかな……」という気持ちは止まることを知らない。
そんなにブルーロックのことが好きなのかと問われると「読んでますよ、毎週」くらいの熱だと思っているのだが、実は思ってる以上にブルーロックのこと好きなのかもしれない。

最近買ったブルーロックウエハースのカード。
「え」からの「NA」を再現できる組み合わせ(本編298話参照)
ちなみにどれくらいペースが落ちたかというとここ4ヶ月で10本なので当社比1/4である。そもそも1ヶ月で10本が個人的には早過ぎたので今くらいがちょうどいいのかもしれない。
ペースが落ちた理由は、ジャンルの幅を広げたことも一因だと思う。それまでは帝襟アンリさんのGL夢小説以外は全部モノアモリーの異性愛だったけど、
・我牙丸吟夢小説:Aro/Ace
・成早朝日夢小説、士道龍聖夢小説:BL
・オリヴァ・愛空夢小説、凪玲王夢小説:ポリアモリー
・時光青志夢小説、馬狼照英夢小説:そもそも恋愛じゃない
といった具合に、一般的に夢ジャンルとされる「男性キャラクターと女性主人公(夢主)の恋愛模様」からちょっとした逸脱を試みている。
これには心境の変化だったり、最近読んだ本だったり、周縁化されがちなパーソナリティを持つ人々のことを考えたりているのが理由。「夢小説ってこんな感じだよね」の「こんな感じ」の範囲をもっと広げられないものかというささやかな試み。
加えて日本では今も同性婚が認められていないことや、社会全体をしれっと覆っている異性愛規範や、キャラクター公式プロフィールの「好きな歴史上の人物は?」という質問にイーロン・マスクと答えたキャラを後悔させるといった話に言及したり「一次創作でやれ」と言われがちなことを「は?二次創作でもやるが?」と胸を張ろうとしている。
多分次はブルーロックで一番邪悪な存在である絵心甚八とことをメタメタに批判するような二次創作を書くかもしれない。ブルーロックは主要キャラ全員が今のところ絵心甚八の方針やロジックを盲信している感じがたまらなく嫌なので、そろそろ誰かアイツに噛みついてくれないかなとずっと思っている。「お前(絵心甚八)の言ってることだけが全てじゃねェッ!」ってなってほしい祈りを込めて、今日もブルーロックのページを捲るのである。
また掲載してるところを置いとくのでよかったら読んでください。
プライベッターの方はまだ全作置いてるわけではないです。色々な理由があってpixiv使いたくない人の気持ち、よくわかる。
最近見たアニメの感想。前橋ウィッチーズ、キンプリ、ルパン
タイトルの通りだ。テレビアニメが一つと劇場用アニメが二つ。
前回の記事もうたプリだったし最近アニメばかり見ている。
今はテニプリのアニメも見ている。今ルドルフ戦。
『前橋ウィッチーズ』

どハマりしちゃった。助けてくれ。
美少女アニメで、アイドルもので、魔法少女もので、つまりよくあるビジュアルだが取り上げるテーマと決着の付け方で独自性を獲得している。毎回Cパートを大きなフックにしているのはサブスクの配信とは食い合わせが悪いが、是非見てほしい。
ストーリーの面白さは多くの人が語っているかと思うので、今更何か言うことがあるとすればキャラクターの魅力だろうか。
天真爛漫で人懐こいけどだんだん周囲からウザがられ孤立しがちな子、そこまで深くない関係性の相手に無意味に虚勢を張ってしまい引くに引けなくなる子、差別を内面化していて自分と同じタイプの人が同じ闇を抱えてないのが許せない子、超依存体質だけどそんな素振りを微塵も感じさせない子…………美少女アニメ的なキャラ付けのディテールが、屈折のさせ方がとにかく上手い。表面的なギャップに留まらない彼女達の心情が滲み出るやり取りに胸を鷲掴みにされた結果、普段買わないアクスタまで買ってる。プライズのフィギュアも手に入れた。助けてくれ。
くじの景品などの偶発的な入手を除きアクスタを購入したことがあるのはプリティーリズム・レインボーライブの蓮乗寺べる以来だ。

でもアクスタもそうだけど、作品自体の面白さや完成度は評価できるが演者本人によるライブやコラボカフェ、ランダムグッズ商法などビジネスとしては他の作品と変わらず俗っぽさが抜けていない。
フェミニズムや反差別的なストーリーに対してオーディオコメンタリーの口ぶりからキャスト自身はちょっと危なっかしいなと思わなくもない点もあり、ハマり過ぎて深入りした結果逆に頭を抱える羽目になっているのが苦しい。
まだ見てないよって方はアニメ本編だけ見てください。それ以上は求めないし、求めたくない、そんなアニメ。
『LUPIN THE ⅢRD THE MOVIE 不死身の血族』

2014年の『次元大介の墓標』から10年以上かけて辿り着いた小池健監督のルパン三世シリーズの集大成的な作品。
しかし、これで終わりだと単なる『ルパン三世VS複製人間』を神聖視し過ぎたカルト映画(カルト的な人気という意味ではない)であり、ジークアクスを見た時にも似た受け入れ難さを感じてしまう。『ルパン三世VS複製人間』でマモーが本作のキャラクターについて一切言及しないことが矛盾のようになってしまうというのもあるが『ルパン三世VS複製人間』を絶対的な不可侵の傑作として崇め過ぎているようにも感じる。
いいから小池健監督の描くマモーとの決着を作ってくれ。ミュウツーの逆襲だって3DCGで再映画化したしアッパレ戦国大合戦だって実写化したしSTAND BY MEドラえもんだって似たようなもんだろ(暴論)。
とにかくこれで終わったら興醒めなので何かやってください。
『 KING OF PRISM-Your Endless Call-み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』

菱田正和監督は「お前らこれが見たかったんだろ!」を提示することにかけては非常に高いスキルを有している。
今回メインビジュアルでもフィーチャーされている氷室聖、法月仁、黒川冷の三人のプリズムショーなんてその最たるものだ。
レインボーライブ本編ではCGモデリングを用いず、プリズムジャンプのみがダイジェスト的に描かれたに過ぎない。プリズムボーイズ達に焦点を当てたキングオブプリズム(以下キンプリ)が始動してからも、そこは不可侵の領域だった。何故なら彼らはとうにプリズムスタァを引退しており、次の世代を担う人材を育成したり見守ったりしている立場だからだ。
今回、そんな彼らのプリズムショーが満を辞してお披露目——それが次回作への資金石であることは明らか。故に、半端なものを見せられたら見限ることも視野に入れて臨んだ。
結果、めちゃくちゃ良い〜!悔しい〜!
まず選曲に関してはオリジナルではなく往年の名曲カバーというのは理に叶っている。そもそもレインボーライブ時空ではむしろオリジナル曲を用いる方がレアケースなので、彼らの世代がカバー曲中心なのはむしろオリジナル曲より整合性が取れてるまである。
選曲についても申し分無い。
冷に関しては「お前はいっつも後出しだな!」と思わなくも無いが、彼の存在自体DJ.COOさんに後出しでくっついたキャラ付けなので何も言うことはない。奇跡的に文脈が繋がっているけどどこまでが解散なのか全くわかりません。
聖さんは圧巻の一言。今までもプリズムショーでバトルして炎の竜巻や勇者の剣で攻撃したり、分身してエネルギー弾やレーザーをばら撒いてスタジアムをメチャクチャにした連中は大勢いたが、リボルバーと戦闘ヘリを召喚して一人芝居したのは聖さんだけだと思う。誰もが知ってるあの曲のイントロ流れ出した時鳥肌ヤバかった。
そして仁。彼は本作の公式サイトのキャラ紹介欄にそれまで誰も知らなかったトンデモ過去エピソードがしれっと記載されていた。お得意の後付けである。しかもDMF(ディアマイフューチャー、プリティーリズムシリーズの2作目)のネタだ。悔しいけどそういうの大好き。クソっ。
新規プリズムショーは他にも数多く用意されているが一々言及してたら終わらないので以上の三人だけにしておく。
ちなみにストーリーはほとんど進展していない。新キャラもガンダムW再序盤のヒイロ・ユイみたいなことしかしてないので何もわからない。
正直、観客をナメていると捉えられてもおかしくない。特に本作は毒にも薬にもならない話に終始してしまっていて、ファンメイドムービーならまだしも、という感じである。
しかしこの続きが見たければ、我々は本作を盛り上げていくしかないのである。やっぱりナメられている気がする。でもプリズムショーの見応えはめちゃくちゃあるので是非映画館で浴びて欲しい。なお、キンプリシリーズはかなり応援上映向けにチューニングされているので不安だと思ったら通常上映をオススメします。そのうち応援上映しかなくなってしまうので今のうちです。
『劇場版 うたの⭐︎プリンスさまっ♪ TABOO NIGHT XXXX』を観た話

うたプリ知識について
私:アニメの1期と2期をずいぶん前に視聴。『マジラブ2000%』の神宮寺レンのパート"OK"と"サンキュ"のところをめっちゃ練習してたことがある。QUARTET NIGHTのことはアニメでいきなりポワゾンKISS歌った人達という印象しかない。
妻:ゲームもプレイしてたことがある(リズムゲーメインの作品が好きだったらしい)。アニメは3期まで。カラオケで一番最初に歌うのは『オルフェ』
観に行くまでの経緯
私「うたプリの映画観たい?」
妻「んー、別に(今はうたプリにハマってない)」
私「じゃあ一人で行くか」
妻「なんで?(怒」
私「えっ」
感想(多分ネタバレする)

まず上映時間56分なのに映画館のタイムスケジュールが85分もとってるのは一体どういうこと?
その謎を解明すべく我々はQuartet Empireの奥地へと向かった——。
上映形態はライブ上映だったのだが、拍手とペンライトが振られる以外はほとんど通常上映と変わらない雰囲気だった。
応援上映といえば上映前の製作会社のロゴの段階から意味不明なコールが飛ぶものだと思っていたので、かなりお行儀の良い(私のような一見さんにも入りやすい)空間だった。私も妻もなんも用意してなかったので、手拍子したり首振ってリズムに乗ったりしていた。
プリズムショーで鍛えてきた自負があるのでちょっとやそっとのことじゃ笑わないつもりでいたけど序盤にNoble Stealer CAMUSさんが貞子みたいにヌッと前方にせり出してきたところでダメだった。あれは一体何事? 速水ヒロと同じ声帯で同じくらい面白いことをするんじゃあないよ。
各メンバーのソロパートでは、アンサンブルキャストでやりそうなことを他のメンバーがノリノリで演じてるのが良かった。衣装の一部はプロジェクションマッピングのように柄が変わり「サイリウムチェンジじゃん……」ってなったけど妻には伝わらないので黙っていた。
ここは4人がそれぞれ凄腕の怪盗に扮していてミッション1、ミッション2……という体で進んでいたのだけどミッション3以降は無かった。なんなんだよ。
どうでもいいけどカミュの神技って略してカミュ技ってことでいいのかな。
その後もソロ曲が続く。シルエットの時点でカミュがなんかおかしかった。でも曲は良い。アイドルが自ら道化を演じるというのは中々にメタな意味合いが含まれているような気がするが私はカミュのことをよく知らない。ポワゾンKISSのパート分けが1人だけ妙なことくらいしか知らない。
この中では寿嶺二は比較的歌も衣装も真面目だった。でも宝石商になりきるアイドルって何??? あとメンバーの中で一番はしゃいだり台本と違うことやりそうなのは彼だなって思っている。
蘭丸は尻尾が生えてた。私だったら「豹柄の衣装はいいけど尻尾はさすがに……」って断ってたと思う。プロ根性を垣間見た。最初の方の寝技のような振り付けが好き。
美風藍は腰から蝶の羽を生やしながら自分が妖精だったことに気づいていた。腰から羽生えてるタイプの妖精は初めて観たかもしれない。ちなみにこの映画を観た日の夜、妻に美風藍に関する致命的なネタバレを喰らった。アニメでそんなこと言ってたっけ?
そのままステージはデュエットソングパートへ。
蘭丸と嶺二のはカッコいい〜って思ってたけど藍とカミュのやつは別の意味で凄かった。カミュずっと面白いけど大丈夫? エンドロールの曲名二度見した。God Love警報発令なんて言われても人類は通常のGod Loveも体験したことないが?
ここら辺で「もしかしてこれがQUARTET NIGHTさんの平常運転か?」と体が順応し始める。
終盤、遂に4人で歌唱する曲が始まったところで「そういえばちゃんと4人で歌ってるのこれが初めてじゃん」ってなった。公式サイトによれば彼らは元々ソロで活動していたらしいので、ライブ構成全体がQUARTET NIGHTというグループの成り立ちであると同時に、メンバー個人個人の成長(タブーへの挑戦)を経たQUARTET NIGHTの新たなるパフォーマンスという演出に痺れた。そして我々のコールによって彼らはノースリーブになってびっくりしてしまったのでやっぱり順応できてなかった。どういうこと???
エンドロールでは前述の通り『GodLove警報発令』を二度見しつつ嶺二と蘭丸のデュオ曲の曲名も良いな〜って思った。さりげなくキャラクターの名前入ってる曲名、オタクが大好きなやつね。
あとHE★VENSってメンバー増えたんですか???
そんなこんなでライブが終わって、アンコールがあった。完全に終わる流れだったけどペンライトをスタンバってる観客が大勢いたので「まあ、あるだろうな」とは薄々思っていた。
アンコール曲については、妻は聞き覚えのあるやつだったらしい。衣装もライブTシャツだし演出もゴンドラを使ったシンプルなもの。逆に今までの演出が異常だったことに気付いたけどこれに関してはプリズムショーで鍛えられていたせいか特に何の疑問も抱かなかった。
ゴンドラが動き出した時にちょっとバランス崩しかける仕草とか、実在感がぐっと高まる。理解ってるな〜〜〜。
ところでマイクをオフにしてメンバーにだけ聞こえるように話す寿嶺二。それは、反則だろ……聴いていいのか、ライブビューイングで見ている体の私達が(ここでもらい泣きしかける。彼等のことほとんど知らないのに)。
この「ライブツアーで全国を回っていて、映画館での上映はライブビューイング」っていう設定なの、今までのやつもそうだったのかもしれないけど上手いやり方だなって思う。私が観た時は、彼等は関西にいたみたいですよ。
今ストリーミングで配信されてる劇中歌はアンコール曲を除けばQUARTET NIGHTとして歌った2曲のみ。助けてくれ〜〜〜〜ッッッッGod Love警報発令が頭から離れないッッッッ。
CDの方は思ったより売り方が残酷だった。各楽曲のフルバージョンはソロCDで、挿入歌集はライブサイズのみ収録……セトリの楽曲をフルで揃えるためにはCD全部買うしかないの!?
妻はアニメシリーズを見返したくなったのか中古でBlu-rayやDVD探していた。初回限定版にイベント抽選券が含まれてるタイプって中古市場潤ってるよね。
『サブスタンス』を観た話(ネタバレあり?)
途中までblueskyの方で色々書こうと思ったけど、こっちにまとめることにした。
下書きには『サンダーボルツ*』や『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』の感想記事が残っているのだが、個人的にこの映画の感想こそちゃんと残しとかないといけないなという気がした。
と言うわけで、書いていく。

それにしてもクソみてぇなキャッチコピーだな。本当に映画見た?
ハッキリとは言及するつもりはないから観る前から読んでもいいけどめちゃくちゃ仄めかすから気にする人は観てから読んでネ!
まず映画『サブスタンス』は女同士の醜い争いだとか承認欲求拗らせ云々のようなスケールの小さい話などでは全くなく、そういったものを作り出そうとする構造(主に男性によって作られ、維持されている)の中で育った女性が、自らの内面化された差別とひたすら対話していく物語だ。極めてフェミニズム的であり、構造や体制への批判の眼差しが大いに存在している。
あらすじ:主人公エリザベスは、サブスタンスという怪しげな薬物を投与した結果、スーという若くて美しい外見を手に入れた! しかし一週間ごとに元の外見と入れ替わる必要があり、徐々にそのルールを苦痛に思い始めるのであった!
その新しい外見で何をしたかと言えば、エリザベスをクビにした後番組のオーディション(若く美しい女性募集!)への参加だった。何でわざわざそんなことを……と思う方もいるかもしれないが「女性は若く美しく、歳を取って旬を過ぎればオワリ」という差別を内面化してしまっていた(部屋に飾ってある"全盛期"の肖像画からも明らか)エリザベスが取る選択としてはそれ以外になかったし、それ以外を教えてくれる者は誰もいない。
そしてスーは見事にオーディションに合格し、彗星の如く現れたスターとして華々しいデビューを飾る。この新番組の映像は過剰にエロティックに撮られているが、"そういう番組"と言うよりは"そういうところに目をつける連中"の視線のようでもあった。男性中心の撮影スタッフは終始真面目な顔つきで仕事に徹しているようにも見えるが、あからさまに舌なめずりをするようなフィクション感がないのが余計に怖い。
そうやって必要とされていくうちに、スーは「一週間ごとに元のエリザベスの肉体に戻る」こと自体が疎ましくなり、ついにそのルールを破ってしまう。
ここで重要なのは、スーがルールを破ることで被害を被るのがエリザベス側の肉体であることだ。ルッキズムやエイジズムに毒され、内面化された差別がここに小さな搾取のメカニズムを構築する。
肉体がエリザベスに戻った後、彼女は辛抱たまらんと言わんばかりに薬品メーカーへ凸電するが「まあ新しい肉体使うのやめてもいいけど、失ったものは戻らないよ?」と言われ葛藤してしまう。一度奪われてしまったものを取り返すことはできない。決して元には戻らない。
スーとしての肉体を捨てられない以上、エリザベスとしての肉体でいる間の苦痛を和らげるために他の方法を探すしかない。そして彼女はありのままの自分自身を愛そうと試みる。しかしここでも内面化された差別や、家の窓から見えるスー(の出演する新番組)の看板が邪魔をする。
鏡の前で化粧をして、家を出ようとして、不安に駆られてまた鏡の前に戻る……その繰り返しは身に詰まされる思いがする。何が彼女をそこまで駆り立てているのか——その原因は序盤からハッキリと描かれている(この記事の最初の方でも言っているが)。
その辺りから、物語はエリザベスとスーの対立が軸になっていく。しかしこれも一見対立しているように見えるだけで、実際は一人相撲だ。いつまでも若く美しい女性でいたい(そうでないと吐いて捨てられる)という欲望のままに行動するスーと、彼女にうっすら搾取され続けるエリザベス。まるで異なる人格のようにも見えるが、少なくともこの映画はそういう話ではない。「実はこの登場人物は主人公の幻想/もう一つの人格でした」という話を最初からその体でやっている
だからこそ、おそらくエリザベスは律儀に一週間が経過したらスーの肉体に切り替えるというルールを守っている。これも非常に胸が苦しくなる。エリザベスの肉体としての時間を引き延ばせば、その代償を払うのはスーの肉体になる。そうなれば若く美しい外見に悪影響が出てしまう。そうすればスーもまた捨てられてしまう……その葛藤は、搾取構造の中で育まれる典型である。
しかし、一方のスーは遂に一線を超えてしまう……。
そしてなんやかんやさらに色々あって、もう二線か三線を超えて映画はクライマックスを迎える。
ジャンル映画としても、フェミニズム映画としても極北と言える映像の奔流であり、用法と容量を間違えた薬のように毒々しい展開が繰り広げられる。
それはエリザベスが内面化した搾取構造の成れの果てであり、今までそうした構造にとらわれてきた人々が流してきた血肉そのものだ。そしてそれを目の当たりにするのは、どんな形であれその構造に迎合してきた/あるいはこれから迎合するであろう人々である。
最後にエリザベス——いや、デミ・ムーアとマーガレット・クアリーが背負ったものの大きさや切実さを、観客は嫌でも考えなければならない。単に「女同士の争い」だとか「承認欲求拗らせ」だとか「変な映画」だとかで切り捨てずに、そうやって笑っていられる立場の下で血を流す人達がいることを。
本作は時にその内面化された差別との対話をシュールに、ユーモラスに描くが、その意味を履き違えてはならないと思う。笑えるところは多いかもしれないけど、それは笑えてしまうくらい腐敗していて、非人道的で、当たり前のように間違ったことが行われている構造を目の当たりにしたからなのかもしれないね。
おしまい。
ブルーロック第301話『パレード』感想
5/7発売の週刊少年マガジンおよびマガポケに掲載されたブルーロック最新話で、蜂楽廻がシュッとネクタイを結んでいた。
「俺 こんなちゃんとしたスーツはじめてかも」とか言いながら。シュッて。隣のコマで悪戦苦闘している七星虹郎は氷織羊の助けを借りているのに。蜂楽廻は一人でシュッとネクタイを結んでいた。
まさかネクタイも蜂楽廻にシュッて結ばれるとは思ってなかっただろうな。俺も蜂楽廻がシュッてネクタイを結べるとは思ってなかったもん。
波風高校の制服はブレザーだけど蜂楽廻はネクタイ結ぶイメージないし、多分入学式とか始業式終業式みたいな場でもネクタイしてなくて先生に怒られてるような気がする。
でも「こんなちゃんとしたスーツはじめて」と言っている以上、今までも蜂楽廻はちゃんとしてないスーツを着る機会があったのかもしれない(ちゃんとしてないスーツって何?)。それって例えばどういうタイミングだろう。著名な芸術家である母、蜂楽優さんの個展やギャラリーで挨拶回りとかする時の付き添いでスーツ着る機会があったんだろうか。でも学生の身分なら制服着るよな。蜂楽優さんも蜂楽廻のこと「大切な場だからキチンとスーツ着なさい」なんて教育しないと思う。だとしたら蜂楽廻の方が自ら進んでそういう場にネクタイをきちんと結んだスーツ姿で出向いたことがあるのかもね。蜂楽廻はお母さんのこと大好きだもんね。もしかしたらその後で「無理して着飾らなくていい」って蜂楽優さんから言われたかもしれない。
少なくとも蜂楽廻は17年の人生の中で何度かスーツを着る機会があり、その都度ネクタイを結んでいるうちにシュッとできるようになった可能性がある。
あるいは、スーツを着る機会があってもずっと着崩していて(オリヴァ・愛空みたいに)ネクタイを結ぶことはなかったが今回やってみたら初見でシュッと結べたのかもしれない。こういうところでも蜂楽廻は日々進化していて「ネクタイを結べた俺を見ろ!」と思っているのかも。
ところでネクタイをシュッて結べることってすごい良いことだなって思う。個人的にネクタイを結ぶのってすごいダルい。もしネクタイをシュッて結べたら、スーツを着る時の億劫さやネクタイをしてる時の物理的/心理的な息苦しさが軽減される気がする。
願わくば蜂楽廻みたいにネクタイをシュッと結べるような人になりたかった。俺はネクタイを結ぶときはいつもゴチャゴチャさせて最終的にマシに見えればそれでよしとしている。別に誰もがそうってわけではないけど、ネクタイの結び方に性格や人となりを見出すのってあるあるネタの一つだ。ネクタイを結ぶ必要がある = 目上の人に会ったりドレスコードが重要視される場面と考えると、ネクタイの結び方で何かをジャッジされているんじゃないかという強迫観念に襲われる。人と目を合わせるのが苦手だと、自然と視線は顔よりちょい下に向いてしまい、他人のネクタイが目に入る。そういう時にネクタイの結び方がちょっと雑だったりすると安心するし、キッチリしていると自分の結び方は大丈夫かと心配になる。
蜂楽廻みたいにシュッと綺麗にネクタイを結べたら、多分そんなことは全然気にならないんだろうな。俺にも教えてくれ、シュッとネクタイを結ぶ方法。でも蜂楽廻は絶対教えるのは下手というか、感覚派なタイプだから「シャッとしてクルッてしたらシュッとするだけ」みたいになりそう。わかんねえ。発射ブーンくらいわかんねえよ蜂楽廻。蜂楽廻も蜂が出す音はブーンって擬音で表現するんだな。
どうでもいいけど蜂はものすごく高速で翅を動かすことでホバリングを可能にしているらしい。そしてスズメバチのホバリングは威嚇行動なんだとか。最近の蜂楽廻がシュートする時空中に居がちなのもある種の威嚇行動なのかもしれない。威嚇どころか刺してるけど(ゴールを)。蜂楽廻の滞空時間、気になるなあ。
ネクタイもスズメバチの毒針に似てる(似てない)。シュッと結ばれたネクタイは威嚇だ。だって蜂楽廻がネクタイをシュッと結んでるの見た時ビビったもん。コイツネクタイ結ぶの上手ッ!って。つまりほとんど誰も蜂楽廻がネクタイを結べるなんて思ってなかったってこと。結べなかったら可愛いみたいなイメージの先入観もあったし。
でも蜂楽廻は「ここでゴール決めなきゃ終わり」って時にちゃんとゴールを決めるし「ここでネクタイ結べなきゃ終わり」って時にちゃんとネクタイを結ぶ。シュッて。まるでなんの苦労もしてませんよとでも言いたげに。やっぱりそう考えると初見でネクタイをシュッと結べた説の方が個人的には強いな。蜂楽廻、才能あんのよ。プリパラで言うところの北条そふぃ。南みれぃが何回練習しても上手くできなかった振り付けを一発で成功させるのと同じ。それが威嚇であると蜂楽廻自身も気づいてないのかもしれない。
とにかく蜂楽廻がネクタイをシュッと結んだことにめちゃくちゃビックリしたよね、っていう、ただそれだけの話。
そしてこれは俺が書いた蜂楽廻の夢小説。よかったら読んでね。おしまい。
左上半分の"ともだち" https://privatter.me/page/67f320fc4f34e